「十字架の上の主イエス」  05.03.13
                    ルカ23:26〜43

 イエスさまの言葉が響いています。「父よ、彼らをお赦しください。
自分が何をしているのか知らないのです。」(34節)。
「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」
(43節)。これらは、十字架の上でおっしゃった言葉です。

 イエスさまのおっしゃる「彼ら」とは誰のことなのでしょうか。
周りには、イエスさまを十字架に追いやった者たちがいます。
悪乗りして、あざけり、侮辱する者たちがいます。そして、共に歩んで
きた弟子たちは逃げ出して、そこにはいません…。
 この「彼ら」は、大変広い範囲の人たちを含んでいる言葉です。
「人々はイエスを十字架につけた」という時の「人々」と共に、すべての
人間をその中に含みこんでしまう言葉です。誰もこの言葉から逃れる
ことはできません。ここに含まれない人などいないのです。
 そして、主イエスが十字架の上で祈られた罪を執り成す祈りから、
漏れてしまう人はだれもいません。

 <わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは
実行せず、かえって憎んでいることをするからです。…わたしはなんと
惨めな人間なのでしょう。>(ローマ7:15・24)と言うパウロは、続けて
言います。<わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたし
ます。>(同7:25)パウロは、主イエスの祈りが、何をしているのか
分からない惨めな人間を包み込み、罪と死から開放してくださった
ことを、本当に知っているから、感謝しました。
私たちもパウロと同じところに立っています。
 エデンの園から追放された人間にとって、神の国は、到底入る事の
できない楽園のように遠い場所でした。

 主イエスの横で、自分の罪ゆえに十字架にかけられている男
(私たち)は、楽園とは無縁だとあきらめています。
 しかし、その男のすぐ隣りにおられる主イエスが、男に楽園は近いと
おっしゃいます。 楽園に入れるとおっしゃる。
 そして、主イエスはこの言葉を実現するために、その時十字架に
かかっておられるのです。